人類史上初の核兵器被害を受けた都市,「ヒロシマ」については,これまで数多くの内外の作曲家によって作品の主題に取り上げられている。その数は,戦後半世紀間に創作された作品だけでも,少なくとも500 曲以上にのぼる。しかしながら,「ヒロシマ」についての具体的な音楽表現法については,これまでほとんど顧みられることがなかった。そこで本論では,「ヒロシマ」 の音楽表現法の一事例として,フィンランドの作曲家,エルッキ・アールトネン(Erkki Aaltonen, 1910-90)の交響曲第二番"Hiroshima"を取り上げた。この作品は,被爆4年後の1949年に作曲され,同年ヘルシンキで世界初演された作品で,純器楽形式によって世界で初めて「ヒロシマ」 を表現したものとして非常に重要である。
本論では,1955年の日本初演時のプログラムなど作曲者による作品解説の解読に楽曲分析を交えながら,アールトネンによる「ヒロシマ」の音楽表現について考察した。まず,未だ研究調査の行われていないアールトネンの創作活動を示した上で,その活動における本作品の位置づけを行った。次に,本作品の全体構造について,作曲者自身による解説を中心にまとめた。その上で,アールトネンの「ヒロシマ」の音楽表現法として本論が注目した2つの技法,標題的技法と主題変容技法について具体的に提示した。とりわけ後者による音楽表現が,その後の「ヒロシマ」の表象においてしばしばみられる「破壊から復興へ」という「ヒロシマ」 の通時的表現をすでに内包していることを最後に指摘した。