いわゆる「忠臣蔵」の話は,1701年の3月14日の江戸城松の廊下における刃傷事件に端を発し,1702年12月14日,江戸本所の吉良邸に赤穂浪士が討ち入り,吉良上野介義央の首を取ったという現実に起こった一連の事件を題材とした創作脚本である。戦乱という戦乱のない当時の社会では,まさに世を揺るがす大事件であった。当時より現在に至るまで,さまざまに脚色されながら,浄瑠璃・歌舞伎・映画・テレビドラマなどによって,多くの人々が見聞きした事件であり,過去から現在にかけて,民衆に大人気の脚本となった。まさに水戸黄門に勝るとも劣らない典型的な勧善懲悪のストーリーとなっている。しかし,この事件の時代背景や武士としての生き方を考慮に入れて別の面からこの事件を捉え直してみると,歴史理解における非常に重要な論理に気づくことができる。本論文では,将軍に真っ向から勝負を挑んだ赤穂浪士の死を主題とし,文治政治の時代における為政者としての武士のあり方を論理的に解明する。