カート・ヴォネガットの長編第四作『猫のゆりかご』(1963)において、作家である語り手は当初、広島に原爆が投下された日に関する本を書き、『世界が終わった日』と題して出版することを意図していた。ところが原爆開発に携わった科学者のひとり、フェッリクス・ハイネッカー博士の行動を調べるうちに、博士が作り出したもうひとつの科学的発明、アイス=ナインが世界を崩壊させる日を目撃し、それについての本を書くことになる。このように『猫のゆりかご』は終末思想を題材としているため、対ソ連の冷戦状態が悪化し、核戦争によって世界が終焉するという危機感が現実的脅威になっていた、1950年代の世界情勢や当時のアメリカ社会に対する、ヴォネガットの悲観的な見解を反映したものとして受けとめられがちである。
しかしながらヴォネガットはポストモダンの作家であり、彼の作品は決して見かけほど単純ではない。実際、終末論的な悲劇を描き出すヴォネガットの語り口は、一見おふざけと取れるほど明るいうえ、見開きには、「この本に書かれていることはすべて嘘である」と、その内容を言葉通り受けとめないようにという警告が記されている。これは作中で描かれるボコノン教の扱いにも窺えることで、「勇気、親切心、健康、幸福をもたらす『嘘』によって生きるべし」と、「嘘」の重要性を説く端から、「良い宗教とは人を裏切るもの」と、自身の言葉の真実性を否定し、その脱構築を促す。さらに、原題に用いられる「猫のゆりかご(綾取り)」も相殺しあう、相反した性質を内包している。なぜなら、綾取りは綾を取り違えてゆりかごを壊しても、同じ紐で再度綾を取り、ゆりかごを作り直せるので、交差する黒い紐によって無数の死が象徴されるときも、アイス=ナインが終末をもたらすこの物語を新たに語り直す可能性を示唆しているからである。
従って『猫のゆりかご』の題材に1950年代の冷戦を反映した終末思想が使用されていても、ヴォネガットのポストモダン的著作姿勢には、作品が発表された当時のアメリカ大統領、ジョン・F・ケネディがアメリカにもたらした肯定的な明るさや、未来に向けた視線が感じられるのである。そこで本論では、作品が扱う科学的発明とボコノン教、さらには「猫のゆりかご」の象徴を詳細に分析し、脱構築することで、ヴォネガットがこの作品で試みているポストモダンの平和的戦略を明らかにし、そのうえで現代という時代情勢に照らして作品を再評価した。