ナチスによるオーストリア併合とユダヤ人迫害によって祖国を離れることを余儀なくされたウォルター・アビッシュの作品には、ナチスドイツへの示唆が繰り返し現れる。しかし、ポストモダンの新しい文学技法を駆使した彼の作品では、ナチス時代のドイツに新しいドイツを皮肉に重ね合わせた『すべての夢を終える夢』(1980)のような場合でさえ、ドイツは〈サイン〉として用いられているにすぎず、作品は特定の歴史的事実を証言したり説明したりすることではなく、もっと普遍的なメッセージを伝えることを意図している。
同様の傾向は、この作品がきっかけとなり、アメリカからドイツへ、そして祖国オーストリアへと旅する現在の作家の姿と、それと交差するように、祖国オーストリアを出て、イタリア、フランスを経由し、日本軍が占領する上海へ、さらにはイスラエルへと向かう幼少期の作家の姿を描いた、最新作『ダブルビジョン』(2004)にも窺える。副題に「自画像」と掲げられているように、作品の題材はすべて事実である。しかし、自身の姿や体験を描く際にアビッシュが試みた様々な文学的戦略は、当時の状況を証言しようとする伝統的語りの枠を超えた、より普遍性の高い新しい文学作品を生み出している。
本論では、『ダブルビジョン』におけるこうした文学的戦略を、ホロコーストの影響を受けた当時の思想家たちとの関連において分析する。そして、ホロコーストの影響を受けた思想家と共通する、他者と未来に開かれたリベラルなヒューマニズムが、ホロコーストを脱構築し、新しい反戦作品・平和文学を作り出すアビッシュのポストモダン的姿勢を特徴付け、彼独自の文学世界を構築する不可欠の要素となっている点を明らかにする。