適応の社会コードに従う行動を選択することが、生存ないし再生産の優位性を持つとき、利己主義的行動だけでなく非利己主義的行動、特に、利他主義的行動さえも選択される。しかし、古典的経済学では、双務的利他主義的行動はともかく、片務的利他主義的行動は選択されることがないとされている。それらの行動は、単に、他者を助けるための自己犠牲と解釈されているからである。しかし、非利己主義的行動は、ある意味で、社会的利益を生むという相殺/挽回メカニズムを排除していないことに気づくはずである。実際、適応の社会コードは、相殺メカニズムを経由して、非利己主義的行動を含むあらゆる行動の選択を支配しているからである。このことを前提としたとき、経済合理的には経済的劣位となるにもかかわらず、社会文化・価値および社会慣習・規範を遵守する非利己主義的行動がなぜ選択されるのか、そして、また、社会文化・価値および社会慣習・規範の一部がなぜ浸食されることなく維持されているのかを説明することが可能となる。本稿では、また、そのような社会文化・価値および社会慣習・規範への同定/同化の一例として、経済合理的な奨励賃金制度に反する伝統的な圧縮賃金制度への同定/同化を取り上げ考察する。