比較論理学研究 15 号
2018-03-25 発行

Is the Mind Useful in the Practice of Yoga?: King Alarka’s Yoga in Anugītā 15 (Mahābhārata 14.30)

ヨーガの修行における心の役割 : Anugītā 15 (Mahābhārata 14.30) におけるアラルカ王のヨーガ
Takahashi Kenji
全文
1.03 MB
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Abstract
Anugītā は古代インド叙事詩Mahābhārata に収められている四つの主要な哲学編の一つであり、他の哲学編同様、古典期のサーンキヤ・ヨーガ哲学以前の、初期サーンキヤ・ヨーガ哲学の諸説を断片的に残している。しかしその思想史的重要性にもかかわらず、AG は古代インドの伝統においても西洋的インド学の研究においても、Mahābhārata において最も有名な哲学編であるBhagavadgītāの補遺あるいは模倣にすぎないと見做され、いくつかの重要な例外を除いてこれまで活発に研究されることはなかった。本論文ではAnugītā 15 に見られるアラルカ王のヨーガについての逸話を取り上げ、心(manas) はどのようなものとして捉えられ、ヨーガの修行において心はどのような役割を担うと考えられているのかを明らかにする。
大地を征服したアラルカ王は、心を集中させて(manas + sam + ā + √dhā) 、思索(cintā) を巡らし、自分自身の七人のホータル祭官たち(心[manas] と五つの感覚機能たちと知性[buddhi])を自らの敵と考え、矢たちを放って殺そうとする。しかし七人のホータル祭官たちは、そのようなことをしても自分たちを殺すことはできず、逆にアラルカ王自身を殺してしまうことになるとして、アラルカ王を思いとどまらせる。次に彼は苦行を行って至福に達しようとするが、これも失敗に終わる。最後に彼は心を一点集中させ(ekāgraṃ manaḥ + √kar)長い時間思索を巡らし([vi] + √cint)、ヨーガという一本の矢によって七人のホータル祭官のうち五つの感覚機能たちを速やかに殺し、ヨーガこそが至福に到達する道であると理解する。
アラルカ王の第一の試みにおいて見られた心の集中と思索は、ヨーガにおいてさらに深化・強化されて受け継がれている一方、第一の試みにおいては心は七人のホータル祭官たちの力の源として真っ先に殺されるべき対象と捉えられているのに対して、ヨーガにおいては心を一点集中状態に導くことで心から生じる力を得て、速やかに感覚機能たちを殺すことを可能にしてくれるものとして捉えられていることに大きな違いがある。また興味深いことに、知性はアラルカ王の第一の試みの記述においては言及されるが、ヨーガの叙述においては言及されていない。初期ヨーガ哲学では、精神原理として知性や自我意識について説いていても解脱道においては心が中心的な役割を果たすことが多く、アラルカ王の説話もその一つと言えるだろう。
内容記述
広島大学比較論理学プロジェクト研究センター研究成果報告書(2017年度)
This work was supported by JSPS KAKENHI Grant Numbers 15J07295.