テクストのフラジリティと文学教育の根拠 <特集 : 日本文学協会第57回大会報告(第一日目)・総会>

日本文学 52 巻 3 号 26-37 頁 2003-03-10 発行
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JapaneseLiterature_52-3_26.pdf 618 KB 種類 : 全文
タイトル ( jpn )
テクストのフラジリティと文学教育の根拠 <特集 : 日本文学協会第57回大会報告(第一日目)・総会>
タイトル ( eng )
Textual Fragility and Literature Education <Special Issue : The 57th JLA Convention (1st Day)>
作成者
収録物名
日本文学
52
3
開始ページ 26
終了ページ 37
抄録
私たちが教師として文学作品を授業で扱うとき、懸命にテクストの解釈にいそしむあまり、その結果としてたどりついた「すぐれた」テクスト解釈を良きものとする傾向はないだろうか。あるいは、教室での「話し合い」の末にたどりついた解釈を「共有」された解釈としてすべての学習者に強いてはいないだろうか。「すぐれた」解釈や解釈の「共有」を導くほどにテクストがタフなものである、ということを前提として、もしかするとそれがフラジャイルな(弱い)ものかもしれないという疑いを持たずにいるのではないだろうか。

文学教育を営もうとして、私たちはテクストのフラジリティ(弱さ)をそこなっているのかもしれない。文学教育の根拠を問うために、私たちはテクストのフラジリティにどのように応じていくのか、という問いを考えていく必要がある。テクストのフラジリティを意識するということが、「見慣れたもの」をはじめて見るようにテクストを理解しようとする構えを導くことになるからである。
When you treat a literary text in your class, you may think the interpretation you have made as teacher is the best one. Even when you democratically make your students discuss what the text means, you may sum up their more or less different readings into a single meaning and force it on all of them. But the text is so delicate and fragile that its meaning can be neither so easily fixed nor unified. If you believe in the only way of interpretation or in the meaning that can be shared by all readers, then you don't know the fragility of a literary text. When you realize it, you will face the text as if it were something unfamiliar and try hard to read it as it is. Thus in reviewing the role of literature education it is necessary to consider how to deal with such textual fragility in actual class.
NDC分類
教育 [ 370 ]
言語
日本語
資源タイプ 学術雑誌論文
出版者
日本文学協会
発行日 2003-03-10
出版タイプ Version of Record(出版社版。早期公開を含む)
アクセス権 オープンアクセス
収録物識別子
[ISSN] 0386-9903
[NCID] AN00197092