二河白道図は中国初唐期の浄土教思想家善導の『観無量寿経疏』散善義中に説かれる二河譬を第一の拠所として描かれた仏画である。日本において法然や親鸞がその著述に二河譬を引用して以後、作画されるようになったと考えられており、中世期に遡る遺例として現在十数本が知られる。
静岡県平野美術館所蔵の二河白道図は、十四世紀末から十五世紀頃の作と想定され、画面下方に娑婆世界と二河白道を描き、上方に飛雲に乗って来迎する悉皆金色の阿弥陀三尊と聖衆を描く構図から、二河譬と来迎思想との重層的な意味を担うものとして、二河白道図の展開のなかで注目される遺例として知られる。本論考では図様及び表現の分析を通じて本図の特質及びその意義について明らかにするとともに、本図が全体としてどのような物語を語り出しているのかを読み解くことを試みた。本図には二河譬中に言及のない図様が多く描き込まれており、娑婆世界の暴れ馬と猿、二河東岸の三人の人物、浄土の阿弥陀三尊聖衆の来迎、蓮華化生の童子、金色の橋、金色の橋を渡る行人、という要素が特徴的である。
本図は二河譬を主文脈とし、阿弥陀三尊聖衆来迎を描くことで専修念仏による救済の絶対性を強調するものであるとともに、宇治名所図や柳橋水車図屏風と図像イメージを共有する金色の橋と柳樹を描き込むことによって、文学的あるいは宗教的彼此岸性が託されてきた宇治橋の隠喩的意味を二河譬の語りの中に組み込んだ図であるといえる。