学習指導要領に「[伝統的な言語文化と国語の特質に関する事項]」が設けられて以降,〈古典〉学習をめぐって様々な議論がなされ実践が報告されている。それらの多くは,〈古典〉をアプリオリに価値があるものとし,日本の伝統文化を“教える”ために〈古典〉教育を行うべきだと考えているように思われる。しかし,〈古典〉とはその時代に生きる人々が意味を見出すからこそ〈古典〉として生き続ける。そのように考えた場合,〈古典〉にアプリオリに価値を認めて,〈古典〉学習を構想するのは妥当でない。では,中学校国語科においてどのように〈古典〉学習を考えていくことができるのか。3年間の実践を振り返りつつ,〈古典〉学習の可能性について考えてきたい。