本研究では,広島県西条盆地南部にある,約3.2km離れた柏原地区の稲生神社と三升原地区の稲荷神社の境内にある石造物の形状や基数,刻文の比較を行い,両神社内の石造物の構成がほぼ一致することを明らかにした。その原因を明らかにするため,広島県立文書館所蔵の古文書の分析から,両地区や両神社に関する成立経緯を検討した。その結果,両地区が広島藩の主導により同時期に成立した化政期の新田開発地であること,新田開発を進めた藩の役人や賀茂郡内の割庄屋が両地区で同じ人物であり,彼らが神社建立の寄附を行ったことが,両神社内の石造物の構成が一致した原因であることを明らかにした。両神社の位置が入植前の村の境付近にあることから,神社建立の目的は,豊作の祈願だけでなく,近隣の異なる地区から入植者した人々を束ねる,紐帯のシンボルとしての目的があったとみなせる。これらの石造物の存在は,新田開発が両地区で同時に行われたことが忘れ去られている今日,両地区の歴史を伝える貴重な文化財といえる。