1万件目のコンテンツ
ご紹介
広島大学学術情報リポジトリ(HiR:2006年10月本公開)のコンテンツ数が、さる2007年6月7日、1万件に到達しました。1万件目のコンテンツは、江端義夫先生(元教育学研究科教授、現名誉教授)の「禁止表現の多元的分布 : 中部地方域方言について 」国語学 no.125 (19810630) でした。
著者の江端先生は本学のご出身で2007年3月に定年退職なさいました。ご専門は日本語学・方言学です。以下にコメントをいただきました。また、先生が刊行の主催をされています「方言資料叢刊」も、創刊より全てHiRで閲覧することができます。
江端先生からのコメント 「リポジトリの発展のために」
この度、図書館リポジトリ担当で長年お世話になった上田大輔さんから、ご連絡を頂戴しました。たまたま、リポジトリに載せてくださった拙論が「一万件目に該当した」ということでした。それはおめでたいことです。平凡なことなので、余計に嬉しいです。宝籤に当たったような気分です。愉快、愉快!! 2005年の名古屋万博で2200万人目に当たった人は誰だったのでしょうか。今年は何か、良いことがありそうだ。
「精が出ますのう、気い付けて田の草ぁ取りんさいや。」梅雨で多忙な季節、こんな挨拶が聞かれます。私は、研究室に閉じこもって文献調査をする人とは違って、田舎や都市を歩き、自分の耳で方言資料を聴いて書き付け、人間の言語の変遷に関するメカニズムを世界の友達と一緒に研究してきました。
あの拙論『禁止表現の多元的分布』は柳田国男の方言周圏論に異議を申し上げることを内に秘めて書いたものです。38歳になったばかりでした。その後、『国語学』の編集委員を務めたり、何度も国際会議を経験したり、海外研修に出たり、生活費を切り詰めて一年に60日も方言調査に出かけたりしました。29歳から63歳まで、疾風怒濤の毎日だったように思います。その中の一粒の苺が先の拙論です。あれから40年が経ちました。10年毎に地域を拡大して調査に出かけ、ついに全国を対象にすることができました。執拗に、『十年間隔言語地図』を作り続けてきました。馬鹿みたいに、一つのことをコツコツと続けてきたのです。果たして40年間の動態を科学的に分析して、何らかの摂理を発見できるのでしょうか? 未だ、世界中で、誰も同じ地域を10年毎に調査し続けた馬鹿者はいません。バカバカしいことに人生の大半を費やしてしまいました。しかし、始祖Georg Wenkerの二の舞を踏みそうな危惧を感じています。彼は、ご承知のとおり1876年、5万地点についてのDeutscher Sprachatlasを企画し実行しましたが、死ぬまでに25図しか完成できませんでした。私は1982年に彼が描いた水彩画の言語地図を手にとって見て、感激しました。茶褐色のボロボロになった地図が100年を物語っていたのです。すごい!!! 私の人生が決まりました!!!
マールブルク大学でルターも学んだし、グリムも学びました。しかもLinguistic Atlasのメッカでした。ALEの大型コンピュータ言語地図製作機は、見事でした。が、資金や人材不足のために、直ぐには日本に導入できませんでした。あれから25年が経ち、誰もがパソコンで安価に地図を作れるようになりました。そうこうするうちに、私は、Georg Wenkerなどの単語地理学に満足できなくなり、新しく『あいさつ表現儀礼全国地図』を構想したのです。10年計画で全国を独力で歩き、生の資料を収集し終えました。私は、human atlasを目指すようになっていました。丁度、国研の『方言文法全国地図』grammar atlasと同じ規模の資料が個人で収集できました。昨年、国研は30年ぶりに全6巻を完成させ、祝賀会を行いました。私は、お金も協力者もいませんので、100年はかかるかも知れません。無謀な計画を立てたものです。国際会議で既に研究の一部を発表していますので、後戻りが出来なくなってしまいました。毎日、朝起きると、果たして死ぬまでにこれを完成し終えることができるのだろうかという不安が頭をよぎります。
ところで、リポジトリについても何か書くようにと指示されました。理科系の場合には、論文が研究の中心です。ノーベル賞級の論文でも10ページほどです。それに付随する論文が3編もあれば、立派な博士論文になります。完結した発見だけが掲載されるリポジトリは、いかにも理科系の研究者に向いています。それに対して、文科系の研究者には、単行本が尊重されます。採用時に単行本を条件にしたりしています。単行本主義の弊害が見られないでもないのですが、いろいろの事情もあり歴史もあり、難しいところです。リポジトリが1500ページの図書を載せないのを見ると、しばらくは、理科系のためのものとして価値づけられていくのだろうと思います。
技術の進歩と需要と供給とのバランス関係で、リポジトリのスタイルが次第に定まっていくのだろうと思います。今後は、例えば、スラブ系の言語で、スロベニア語の友人の論文が見たいと思えば、本文をコピーし、次に日本語への翻訳をクリックすれば、読めるという段階がくるのでしょうか。また、1872年のJ. Schmidtの論文を翻訳で読みたいと思えば、ややこしい手続きを経なくても直ぐに対応できるという状態が来るのではないかと思います。さらに、私どもが日本語で書いた論文でも、どこかをクリックすれば、適当な外国語に翻訳できるという電子化ソフトが開発されることを期待したいと思います。こうなれば、知的で独創的な能力のある論文だけが有利になる時代が来るかもしれません。文科系でも理科系に負けず、優れた発見だけが認められる時代になる可能性があります。
引用回数は今のところ、文科系では、有効でありません。それに代わるものとして、リポジトリの国際的判定機関ができ、質的な国際的評価をするようにでもなれば、存在意義が発揮される時代が来るように思います。そのためには、主要なサミット主要国(その中には日本語も含めて欲しい)の論文については、自在に翻訳が可能なように電子化ソフトが開発されることが期待されます。いかに英語教育を小学校から始めても、英語が国際語である時代が永遠に続くわけではありません。世界に6000もある言語について、全ての言語に対応できる電子化ソフトが普及するのを希望したいと思いますが、それは望めないだろうと思います。消滅の危機に瀕した言語にも一定の独自性を認めたいと思いますし、意志疎通のための公用語も便利な道具です。それらを適宜に案配していくことが大切です。
リポジトリには日本の基礎科学の発展に寄与する可能性があるとともに、産業界との連携を通して、広く人材の適正な離合集散に資するところがあり、結果として日本全体の国力の伸展に貢献するであろうと思われます。バランスの取れた未来を期待したいと思います。
(2007.6.9)