12世紀から15世紀にかけて盛んに生み出されたビザンツ民衆ギリシャ語のテキスト群は、現代ギリシャ語の特徴を多く含んでいる点で、ギリシャ語の史的発展の研究にとって貴重な資料である。本稿は、現代ギリシャ語に特徴的な現象である複合前置詞(=副詞+前置詞)のうち、,「内部」概念を表現する形態に焦点を当て、これがビザンツ民衆ギリシャ語テキストでは、どの程度の成立をみているのかを考察する。考察は、形態論的、統語論的、意味論的という三つの観点から分析的になされる。
1)形態論的観点からは、「内部」表現にはどのような副詞が使用されるのかが調査される。現代標準語では、ほとんど唯一の形態として副詞μ#σαが用いられる。ビザンツ民衆語では、その時期に応じて通時的変遷が観察される。すなわち前半期には中世語独自のαπέσωと現代語に伝わるμέσα、さらにこれらと並んで古典語伝来の様々な副詞が用いられるのに対し、後半期にはαπέσωとμέσαの二本立てになる。しかし、いずれの場合にも、若干のテキストをのぞいては、απέσωの方がμέσαよりも使用頻度が高い。
2)統語論的観点からは、各副詞がいかなる統語的特徴を示すのか、すなわち、どのような要素と共起し得るのかが調査される。現代μέσαは前置詞σε及びαπόと共起し得る。ビザンツ民衆語では、全時期を通じて、副詞は前置詞εις(またはこれに由来する現代語形σε)とαπό(またはこれと類似の意味を持つ古風なεκ)との共起例が多数観察される。
3)意味論的観点からは、基本的な空間概念である「存在」「接近」「分離」「通過」と「内部」概念との組み合わせの表現が、どのような形態によって実現されるのかが記述される。現代語では、基準となる対象の「内部の存在」「内部への接近」は副詞μέσα+前置詞σεによって、「内部からの分離」「内部の通過」は副詞μέσα+前置詞απόによって表現される。ビザンツ民衆語でも同様に、「内部の存在」「内部への接近」は種々の副詞と前置詞εις(またはσε)との結合により、「内部からの分離」は前置詞από(またはεκ)との結合により表現される。(「内部の通過」は明確な例が見出されない。)
以上の結果を、ビサンツ民衆語における複合前置詞の成立の度合いという点からまとめるならば、統語論的・意味論的には十分に現代語的特徴を備えているが、形態論的すなわち使用される副詞の形態という点では、中世語的特徴を示している。