「羅生門」の指導では,従来その主題をとらえることや,それを前提にして,作品の表している問題を自分の問題として考えさせることに主眼がおかれる傾向があった。しかし,その過程で重視されてきた下人の心理の変化やエゴイズムのありようが,さほど人の心を打つとは思えないし,それらを中心に読むことが豊かな文学体験を与えることになるとも思えない。文学作品の価値は,それがどれだけ人の心を打つかで決まると言っていい。文学の教育でもそのことが基本的視座に据えられなければならない。このような観点から文学教材としての「羅生門」について考察する。