山形県中川代遺跡の石鉞と日向王之山の玉璧

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ファイル情報(添付)
タイトル ( jpn )
山形県中川代遺跡の石鉞と日向王之山の玉璧
タイトル ( eng )
山形县中川代遗址出土的石钺与日向王之山出土的玉璧
作成者
李 国棟
収録物名
広島大学大学院文学研究科論集
The Hiroshima University studies, Graduate School of Letters
67
開始ページ 111
終了ページ 129
抄録
日本山形县中川代遗址出土了一件3300年前的中国石钺。石钺正面孔下有酷似甲骨文"之"字的刻文(参看照片1)。

石钺起源极其悠久, 是长江下游"内越"的象征。良渚文化时期玉钺出山, 于是, 玉钺象征显贵的身址和至高无上的权力, 而石钺则有了别的用途。同一时期, 日本列岛"外越"居住的"越"地区也出山了大量类似石钺的石斧, 而且有些石斧根本就没有使用痕迹。笔者推测, 石钺和一部分石斧曽是"内越"和"外越"互做海外贸易时的身份证及贸易许可证, 日本山形县中川代遗址出土的那件石钺, 正是在这个背景下由"内越"带到"外越"来的。

1818年2月, 从日本九州最南端的日向地区王之山的石棺中出土了一块"蟠螭纹谷纹璧"(参看照片5, 6)。这块玉璧带有明显的"内越"文化色彩, 流行于中国战国晩期。从广州市南越王墓和上海市福泉山遗址出土的类似的"蟠螭纹谷纹璧"看, 日向王之山出土的这块玉璧文是"内越"的一个贵族男子为了躱避秦始皇的迫害, 于公元前221年由长江下游的越国随身带过来的, 而且这个贵族男子很可能就是《故事记》和《日本书纪》所记载的"ニニギノミコト"。
著者キーワード
石鉞
蟠螭文
穀文璧
NDC分類
アジア史・東洋史 [ 220 ]
言語
日本語
資源タイプ 紀要論文
出版者
広島大学大学院文学研究科
発行日 2007-12
出版タイプ Version of Record(出版社版。早期公開を含む)
アクセス権 オープンアクセス
収録物識別子
[ISSN] 1347-7013
[NCID] AA11643449