山形県中川代遺跡の石鉞と日向王之山の玉璧
広島大学大学院文学研究科論集 67 巻
111-129 頁
2007-12 発行
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ファイル情報(添付) |
HiroshimaUnivStudGradSchLett_67_111.pdf
2.83 MB
種類 :
全文
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タイトル ( jpn ) |
山形県中川代遺跡の石鉞と日向王之山の玉璧
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タイトル ( eng ) |
山形县中川代遗址出土的石钺与日向王之山出土的玉璧
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作成者 |
李 国棟
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収録物名 |
広島大学大学院文学研究科論集
The Hiroshima University studies, Graduate School of Letters
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巻 | 67 |
開始ページ | 111 |
終了ページ | 129 |
抄録 |
日本山形县中川代遗址出土了一件3300年前的中国石钺。石钺正面孔下有酷似甲骨文"之"字的刻文(参看照片1)。
石钺起源极其悠久, 是长江下游"内越"的象征。良渚文化时期玉钺出山, 于是, 玉钺象征显贵的身址和至高无上的权力, 而石钺则有了别的用途。同一时期, 日本列岛"外越"居住的"越"地区也出山了大量类似石钺的石斧, 而且有些石斧根本就没有使用痕迹。笔者推测, 石钺和一部分石斧曽是"内越"和"外越"互做海外贸易时的身份证及贸易许可证, 日本山形县中川代遗址出土的那件石钺, 正是在这个背景下由"内越"带到"外越"来的。 1818年2月, 从日本九州最南端的日向地区王之山的石棺中出土了一块"蟠螭纹谷纹璧"(参看照片5, 6)。这块玉璧带有明显的"内越"文化色彩, 流行于中国战国晩期。从广州市南越王墓和上海市福泉山遗址出土的类似的"蟠螭纹谷纹璧"看, 日向王之山出土的这块玉璧文是"内越"的一个贵族男子为了躱避秦始皇的迫害, 于公元前221年由长江下游的越国随身带过来的, 而且这个贵族男子很可能就是《故事记》和《日本书纪》所记载的"ニニギノミコト"。 |
著者キーワード |
石鉞
戉
越
蟠螭文
穀文璧
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NDC分類 |
アジア史・東洋史 [ 220 ]
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言語 |
日本語
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資源タイプ | 紀要論文 |
出版者 |
広島大学大学院文学研究科
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発行日 | 2007-12 |
出版タイプ | Version of Record(出版社版。早期公開を含む) |
アクセス権 | オープンアクセス |
収録物識別子 |
[ISSN] 1347-7013
[NCID] AA11643449
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