カート・ヴォネガットの大きな魅力は、通俗的要素で読者を楽しませ、豊かな人間性を提示しながらも、真面目な小説に不可欠な鋭い人間洞察や痛烈な社会批判を提供していることである。代表作『スローターハウス・ファイブ』では、ドレスデン空襲という戦争体験をSFというファンタジー要素を用いて描くことで、この目的を果たしているが、この作品に先立つ1965年に発表された『ローズウォーターさんに神様のお恵みを』でも、アメリカ資本主義というリアリスティックな題材がファンタジー設定で扱われ、同様の効果を挙げている。
ヴォネガットがファンタジーを利用する場面には、認知心理学が「不協和理論」によって説明する心理が作用している。これは、どうしても受け入れがたい、認知的不協和をもたらす事態に遭遇すると、人は「認知的不協和の軽減」のために途方もない「嘘」を受け入れる傾向がある、というものである。たとえば『スローターハウス・ファイブ』では、無辜の犠牲者を大量に出す悲惨なドレスデン空襲に対し、主人公ビリー・ピルグリムは「認知的不協和の軽減」のために、ある時間帯では死んだように見える人も、他の時間帯では生きていると信じさせてくれる、四次元空間を自由に移動できるトラルファマドール星人の存在を信じ込む。一方、『ローズウォーターさんに神様のお恵みを』の主人公エリオット・ローズウォーターは、彼の勇気と善意を無にする戦闘結果による「認知的不協和の軽減」のため、彼が持つすべての財と才能を善行に注ぐ。しかしエリオットの行為は慈善といった現実の枠を超えており、その非現実性により、彼にもたらされた「認知的不協和」の大きさと、その原因となった現実の苛酷な実態が示唆されるのである。
本論ではこうしたファンタジー戦略を分析したうえで、その戦略を編み出したヴォネガットの、中西部的・ドイツ的道徳観やヒューマニスティックなロマンティシズム、それらと相矛盾するリアリスティックで皮肉な笑いや揶揄の共存に着目する。たとえば、ビリーの「認知的不協和の軽減」に寄与する四次元的思考を持つ異星人の名が、「別名、致命的な夢(Or Fatal Dream)」のアナグラム、トラルファマドール(Tralfamadore)であるように、エリオットの「認知的不協和の軽減」のための愛他行為も、徹底して実践されればされるほど、かえって関係者の利己主義や怠慢を助長し、人間が本質的に抱える様々な問題や欠点を暴露する。
しかしこのような相矛盾する視点で互いを否定しつつも、ヴォネガットはそこから暖かい笑いを引き出し、愚かで弱い人間を突き放すことは決してない。むしろヴォネガットは、主人公たちの弱々しい逃避的姿勢に極端なまでの道徳的・人間的生き様を託し、人が本来あるべき理想を示しつつ、それを否定する現実的視点を供給することで、両者のバランスのうえに常により良い生き方を模索し続ける、不確定で不安定なポストモダン的生き様を描き出す。そして、何らかの特定の結論を提示するのではなく、模索し続ける過程に読者を導くことで、読者ひとりひとりにそれぞれが課せられた模索と結論を委ね、読者と未来に聞かれたポストモダンヒューマニストの姿勢を貫いているのである。