広島大学大学院文学研究科論集 Volume 63
published_at 2003-12-25

《私》はここに住む。 : 現代詩を《神秘主義》に照らし合わせる

<<JE>> DEMEURE ICI : La poesie contemporaine a la lumiere de la <<mystique>>
Le Dimna Christian
fulltext
689 KB
KJ00004257096.pdf
Abstract
無秩序に繁茂した現代詩の中から道を見つける為に、我々はそこに神秘体験の光を投げかけ、そして同時に評論家たちからほとんど忘れさられている人間体験の3次元を考慮している解釈のおもしろさも提示してみる。その為に、我々はまず、様々な解釈に覆い隠されたジョルジュ・バタイユのこの<内的体験>を、神秘の根源に立ち戻りながら明らかにさせて行き、そしてミッシェル ユランが<原始の体験>と名付けたこの体験の特色を描き出して行く。次に、我々は現代詩の中からこの体験の足跡を幾つか見つけ出し、そして現在の主な詩的傾向から二点を立証してみる : 先ずは、ジュード ステファン、もしくはジェームス サクレの新叙情詩であり、そこでは困難な苦行の末に自分自身の虚構から解放された詩人が、<彼の>内心の声よりも<世界の歌>を聞かせてくれる。そして次には、韻文形式に戻ると同時に、ジャン-クロード パンソンがしきりに勧めているように、実在を越えたもの全てを無くしたこの世界に<詩人として暮らす>為に、その物のあるがままを<見る>事にも心を配っているという点で売る。詩人や哲学者自身が、今日ではそれと認められている神秘体験に関心を抱いてくれるおかげで、我々は詩の活力の源が、詩人が<その物のあるがまま>から受ける常に新鮮な体験に根ざしている事、そしてまた、詩は意図と前途、そして""現在""を探し求める読者という受け手を持ち、それによってセンス(感覚)を磨く感覚手段である事を理解する事が出来る。つまり、現代詩の様々な形式は、そのおびただしさの中にも、実際の主の公現が行われる時に提示される表現に接近させ、発見し、確定させ、そして分かち
Keywords
フランス文学
現代詩
神秘