このエントリーをはてなブックマークに追加
ID 47665
本文ファイル
著者
Takeda, Noriko 大学院総合科学研究科 広大研究者総覧
抄録
「源氏物語」五十四帖を構成する基本要素は、冒頭の章「桐壺」に余す所なく提示されている。作者が物語の完成を見定めた上で創作されたと考えられるその第一の巻は、印象的な書き出し「いずれの御時にか」によって、作品中に瞬時のうちに読者を引き込む力を有する。一方、その謎めいた表現は、皮肉にも物語が現実の枠内で進行することを示唆する。主人公光君の紹介のために十二年間のエピソードを手早く繫き合わせる文の間には、「もののあはれ」に染まる夕月夜の描写が挟まれ、纏綿たる美文から成る章全体の詩的効果を一層高めている。
源氏の誕生にまつわる桐壺帝とその最愛の更衣の情熱的な恋愛は、後者の早世によって不幸な結果を迎える。若い寵姫の火葬は、同じく茶毘に付される他三者の死とともに、第一章の悲劇性に拍車をかける。しかし、死者から立ち昇る灰色の煙は、まわりの空気に混じり溶け込み、残された生者を包む。空を満たす朧ろな気体は生命の素となり、煙としての死は、いわば新たな生の出発点と考えられる。安定した貴族社会を描きながら、作者は、自然の循環の中の、その一部としての人間の姿を明示する。息の長い、主語のしばしば省略される捉え難い文章は、宙に漂う灰色の煙そのもののイメージを与え、死と生は密接に結びつき絡み合っているという仏教的な思想を体現する。作者はまた語り手の慰藉の声によって、読者を死の絶望的な恐怖から救うと同時に、不確かな現世に身を処す自分自身の救済を試みるのである。
例の透明な秋の夜の場面では、やわらかな月光が死者の煙の分身となり、桐壺更衣の美しい姿が甦る。更衣に生き写しの藤壺女御は、義理の母として、源氏の禁忌の対象となり、第二章以降展開される彼の恋愛遍歴の要因となる。
生の永遠の転変の可能性で作品世界を潤おし、安らぎの声を響かせながら、「桐壺」の巻は、五百人以上の人物を生み出す長編の劈頭の章としての役割を見事に果している。
掲載誌名
比較文学
35巻
開始ページ
266
終了ページ
247
出版年月日
1993-03-31
出版者
日本比較文学会
ISSN
0440-8039
2189-6844
NCID
出版者DOI
NAID
言語
英語
NII資源タイプ
学術雑誌論文
広大資料タイプ
学術雑誌論文
DCMIタイプ
text
フォーマット
application/pdf
著者版フラグ
publisher
関連情報URL
部局名
総合科学研究科