広島大学水畜産学部紀要 13巻 1号
1974-07-31 発行

海産枝角類の生態に関する研究

Studies on the Ecology of Marine Cladocerans
遠部 卓
本文ファイル
抄録
海産枝角類の生態を明らかにし,それらを餌料生物として利用する場合の基礎資料を得ることを目的として,1966年以降1972年まで瀬戸内海中部水域―備後灘・燧灘―において一連の研究を実施し,次のような結果を得た.

1. 本水域から出現が確認された海産枝角類は次の3属5種である.
Evadne nordmanni LOVEN,Fvadne tergestina CLAUS,Podon leuckarti G.O.SARS,Podon polyphemoides (LEUCKART),およびPenilia avirostris DANA.

2. これらの枝角類は種に固有の季節的消長を示し,その出現時期は毎年非常に規則的に繰り返されている.出現量の多いのは,E.tergestina,P.polyphemoides,およびP.avirostrisの3種である.これら各種の出現を規制する環境要因としては,塩分よりも水温が重要である.

3. 本水域の枝角類の地理的分布をみると,各季節に固有の種が,全域にわたってみられる.しかし分布密度の高い水域はP.polyphemoidesでは北部の比較的内湾性の強い場所に集中する傾向があり,逆にE.tergestinaとP.avirostrisは中央部より南西部に至る沖合性の強い場所に限られることが多かった.

4. 垂直分布に関しては,昼間は各種ともに0m乃至10m層に分布が局在することが認められ,特にEvadne属においてその傾向が顕著であった.またE.tergestinaやP.polyphemoidesでは昼間は表層に出現量が多く底層に少ないが,夜間には表層への出現個体が減少し底層に増加することがみられ,日周垂直移動を行なうことが認められた.

5. 各種の体長組成には明瞭な季節変化はみられない.単為生殖卵の平均抱卵数は出現初期に最も多く,時間の経過とともに徐々に減少することが,調査した3種,E.nordmanni,P.polyphemoidesおよびP.avirostrisの何れについても同様に認められた.平均抱卵数の最も低下した時期に有性生殖が最もさかんとなり,それとともに群集密度が急激に減少して消滅するに至る.

6. 1969年8月にみられた高い比率で有性生殖個体を伴なうP.avirostrisの群集について生殖タイプ別組成を調べた結果,場所によりその組成に顕著な差が認められた.耐久卵保有雌虫の割合は最高13.5%に達し,雄虫を含めた有性生殖個体は群集の50%を占めた.

7. Evadne属2種,E.nordmanniおよびE.tergestinaの単為生殖雌虫において,成長した胚は夜半から早期までの暗黒時にのみ,母虫の脱皮とともに放出される.育房中の単為生殖卵の成長はきわめて早く,夏期水温26-27°Cでは48時間で母虫より放出されるものと推定された.

8. P.avirostrisおよびE.tergestinaの耐久卵を室内容器中で母虫より放出させ,それを回収することができたので,それらと同一の形状,色彩をもつ卵を天然海底から探索した結果,本水域には多量の枝角類耐久卵が分布することがはじめて確認された.

9. E.tergestinaの耐久卵は球形で,平均直径204μ,卵膜はきわめて厚くかつ固く,淡褐色を呈する.P.avirostrisのそれは背面観は楕円形で平均長径250μ×短径180μであり,側面観は平たく厚さ約100μ,中央部腹面に顕著な凹みを有する.卵は灰色で卵膜は厚い.

10. 備後灘・燧灘の9定点における8,9月の耐久卵分布密度はきわめて高く,P.avirostrisのそれは平均6.7~7.9×104個/㎡,Evadne and/or Podonのそれは1.5~1.8×104個/㎡であった.徳島県橘湾の11定点における3月の耐久卵密度は,前者については平均0.14×104個/㎡,後者については0.28×104個/
㎡であって瀬戸内海中部における密度に比しきわめて低かった.

11. 室内採取および天然採集耐久卵はいずれも,室内条件下での孵化が認められた.P.avirostrisの耐久卵は,天然で本種の出現する時期の水温に近い17~20°Cにおいて孵化率が高く,Cl4‰の低塩分海水中でも孵化する個体があった.Evadne and/or Podonの耐久卵は12~17°Cにおいて孵化率が高く,前者同様Cl4‰の海水中でも孵化が認められた.

12. 室温に13ケ月間放置した海底泥中より得られたP.avirostrisの耐久卵の一部が孵化したことから,本種の耐久卵の長期保存の可能性が認められた.

13. P.avirostrisおよびE.tergestinaの耐久卵の初期発生とその孵化過程ならびに孵化直後の仔虫の形態などをはじめて記載した.P.avirostrisの耐久卵は発生の徴候を示す最初の形態的変化が認められてから孵化までに,平均水温19.4°Cで約100時間を要した.

14. 海産枝角類の飼育,培養に際しての問題点について,その繁殖の特性,食性,棲息密度その他の点から若干の論議を行なった.