Progress in the beginning stage of new reclamation work in early 19th-century Kashobara, in the southern part of Saijo Basin, Higashi-Hiroshima City, southwestern Japan: Analysis of “Kokugunshi-goyo-kakiagecho, Kamo-gun Kashobara”
抄録
本稿は,「国郡志御用書上帳 賀茂郡柏原 ひかへ」の分析を通して,19世紀初頭の東広島市西条盆地南部,柏原における新田開発初期の進捗過程の詳細を明らかにすることを目的とする。本史料は,1825(文政8)年に広島藩の地誌書として完成した『芸藩通誌』の編纂材料として,領内各郡村から藩へ提出された調査報告書である。開発の特徴として,1)入植を伴う新田開発は,広島藩からの指示によって始まったが,水利施設の増築という入植者からの要望が,割庄屋を通して藩へ申し入れられ,それが叶えられていること,2)入植者を増やす方策として,藩が入植者を経済的に支援し,年貢の免除や軽減を認めていることなど,入植者に配慮した藩の手厚い対応が垣間見られた。また,本稿では,水利施設に関する記載内容の合理的な解釈を,絵図や現実の地形条件に基づいて行った。文献史料と絵図・地形図などを組み合わせて活用する方法をとることで,当時の様子を精緻に再現できたところに,分野横断型の研究手法の意義を見出すことができた。
キーワード
新田開発
西条盆地
国郡志御用書上帳
江戸時代
広島藩
development of reclaimed land
Saijo Basin
Kokugunshi-goyo-kakiagecho
Edo Period
Hiroshima Domain
権利情報
Copyright (c) 2018 広島大学総合博物館 Hiroshima University Museum