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ID 46455
本文ファイル
別タイトル
「大般涅槃経」における筏の比喩
著者
Thero, Ven Randombe Suneetha
NDC
仏教
抄録
本研究の目的は初期経典『長部』「大般涅槃経」に見られる筏(kulla)の比喩の意味を、その他の初期経典およびブッダゴーサの注釈に依拠して明らかにすることである。
『長部』「大般涅槃経」の中で、ブッダと彼の弟子たちは筏や橋を用いることなく、既に川を渡り終えている者として描かれる。ブッダゴーサの注釈によれば、川は渇愛(taṇhā)の隠喩であり、筏や橋は聖道(ariyamagga)の隠喩である。ここで示唆されているのは、ブッダと彼の弟子たちは既に渇愛という川を渡り終えているので、聖道という筏を必要としないということである。次に『中部』「蛇喩経」においてブッダは、法(dhamma)が筏に似た働きを持つと説く。ここでの「法」はブッダゴーサによれば止(samatha)と観(vipassanā)のことである。人は川を渡るために筏を使うが、川を渡った後は筏を捨てるように、涅槃という目的の達成のために法に依拠すべきであるが、目的達成後は法を捨て去るべきであると「蛇喩経」は説く。『中部』「大愛尽経」もまた、法の目的は筏と同じく彼岸に渡らしめることであり、それゆえ法に執着してはならないと説く。ブッダゴーサによれば、その法は四種の暴流(ogha)—欲(kāma)、生(bhava)、見解(diṭṭhi)、無明(avijjā)—を克服するための手段である。
『中部』「蛇喩経」「大愛尽経」は筏の比喩を用いて、渇愛や苦を鎮めるという目的達成のためにのみ法に依拠すべきであるという点を強調するが、「大般涅槃経」は同じ比喩を用いて、既に目的を達成したブッダと彼の弟子たちにとって法はもはや必要でないことを示唆する。これら全てに共通して説かれるのは、ブッダの法が宗教的目的をもたらす限りにおいて有用であるという点である。
内容記述
広島大学比較論理学プロジェクト研究センター研究成果報告書(2017年度)
掲載誌名
比較論理学研究
15号
開始ページ
173
終了ページ
181
出版年月日
2018-03-25
出版者
広島大学比較論理学プロジェクト研究センター
ISSN
1880-6376
NCID
言語
英語
NII資源タイプ
紀要論文
広大資料タイプ
学内刊行物(紀要等)
DCMIタイプ
text
フォーマット
application/pdf
著者版フラグ
publisher
部局名
文学研究科
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